2025年1月読了
評価:★★★★☆
『たゆたえども沈まず』、『楽園のカンヴァス』がとても良書ですっかり原田マハさんの虜になりました。友人が『生きるぼくら』をおすすめしていて、なんと舞台は私の地元であることを知り手に取りました。
ざっくりあらすじ
・ひきこもりの主人公人生(じんせい)は、突然母に見放され1人になる。母が残した『頼れる人』の中にいたマーサばあちゃんに会いに長野県茅野に向かう。
・マーサばあちゃんは認知症になっていた。
・マーサばあちゃんとそれを取り巻く温かい人と暮らす中で人生の心の奥底で忘れかけていた何かが蠢き出す。
・マーサばあちゃんが行っていた、『特別な米づくり』を通して、人生、マーサばあちゃん、周囲の人たちが再生していく。
感想
・誰しも人生で挫折を経験する。そんな時、1人になったような気持ちになることもある。だけど、遠方にいる家族や、最近連絡をとってない友人、これまでの人生で関わった人がきっと放っておかない。新しい出会いもきっとある。私は1人ではない、みんな1人ではないと思える作品。
・マーサばあちゃんの無償の愛情、優しい言動、人柄が現れる言葉が、ほっこりした気持ちになれる。
・私もこんな素敵で汚れのないおばあちゃんになりたい、そして子供や孫や周囲の人に慕われる人間になりたいと思える人物像。
・御射鹿池、八ヶ岳連峰、長野の豊かな自然の描写がその場所を頭の中で思い浮かばせてくれる。懐かしくも今はなかなか頻繁に帰ることができない故郷を思い出し寂しい気持ちになった。
・マーサばあちゃんの認知症の症状が悪化したり回復したり、その度に胸が締め付けられる思いになる。いつかは自分の親もこうなるのか?はたまた、自分や夫がそうなった時に子供や孫はどう接してくれるのか?人ごとではない状況に考えさせられると同時にやっぱり最後まで読んで行き着くのは『マーサばあちゃんのような慕われる人間になりたい』ということ。
心に残ったフレーズ
子供だもの、好きなようにすればいいの。その全部が、生きていくための栄養になって、勉強になるのよ。『生きるぼくら』P92
母さん、ずいぶん一生けんめいだったね。ずっと眺めているうちに、人間の顔ってこんなふうになるんだって、気がついたよ。
一生けんめいに、何かひとつのことに打ちこむ人間は、こんなふうに輝くんだって。
おれが東京の大学に行ってた頃からずっと、毎年、新米を送ってくれたね。
いつのまにかそれがあたりまえのようになってしまってた。
けれど、おれたちが毎日食べているご飯が、どうしてあんなにおいしいのか、今日、あらためでよくわかったよ。『生きるぼくら』P220
皆、それぞれに言っていた。人間、長く生きていれば、必ず何かがある。そんなとき、家族の支えがいちばん必要になる。元気なときには気づかないけれど、支えるほうも、支えられるほうも、病気になればお互いのありがたさが身に染みる。そして、失ってみると、その存在の大きさがしみじみわかるものなのだと。『生きるぼくら』P259
いくら話しかけても、一生けんめい尽くしてあげても、無反応。家族にとって、それがいちばん辛いことに違いない。どうせ治らないんだから、話しかけるだけ無駄だ。そんなふうに考えてしまうのが、介護する側にもされる側にも、実はいちばんよくないんだよ。「君たちが、おばあちゃんに笑いかけて、おばあちゃんの大好きなことを話してあげて、そしていつも『ありがとう』って言い続けたらそれは絶対におばあちゃんに伝わるはずだよ。もうもとには戻らない、とは決して考えずに、具体的で、現実的な希望をひとつでも持つことが大切なんだ。『生きるぼくら』P264
子供の頃、母に叱られて、ばあちゃんに泣きついた。少年の人生の背中をやさしく叩きながら、ばあちゃんは、やっぱり言った。
お母さんと仲直りする、とっておきの方法、教えてあげるわ。それはね、とっても簡単なこと。さきにあやまっちゃうのよ。
そしてね。お礼を言うの。ありがとうって。
怒らせて、ごめんね。怒ってくれて、ありがとう。
さあ、思い切って、言ってごらんなさい。
あなたの大好きな、お母さんに。『生きるぼくら』P367
・余談ではございますが、本書の表紙を飾っている御射鹿池(みしゃかいけ)は私も訪れたことがあり、とても心が洗われる場所でした。本書では、“マーサばあちゃんの好きな場所”として登場しています。
・水面に映る樹々がとても幻想的です。